こまとぜんじさま


  ペチ

 
     

「おい、チカラじゃないか。」
 いまにも降りだしそうな雲の低い朝だった。
「どうした。しょぼんとして。」
 もう、夏休みも残すところ三日だ。宿題が出来てなかったんだ。自由研究だなんてこまるよな、まったく。
「そんなことだろうと思って、寄ってみたんだ。乗れよ。」
 ケイタおじさんは、いつもタイミングがいい。年式は古いがお祖父さんゆずりの青色のベンツは乗り心地もいいし、性能もばつぐんだ。玄関からママも顔を出した。
「ケイタ、おねがいね。」
 青色のベンツは、チカラを乗せて走り出した。
「姉さんから、電話があったのさ。いいよな、チカラは。」
 それがウザイんだよ。といいたかったがやめた。ベンツはすぐに高速道路に入った。西へ向かっていた。
「行きたいところ、あるか。」
「ない。」
「じゃ、おじさんの行きたいところで、いいね。」
「うん。」
 八月末の土曜日の朝、九時二十五分過ぎだった。高速道路の料金所をぬけたのはおぼえていたが、すぐにチカラはねむってしまった。気がつくと山あいのいなか道を走っていた。
「着いたぞ。」
 目の前に古風なかわら屋根つきの門があった。門の両側にも屋根つきの白いへいが続いていた。ケイタおじさんは、右手のぶ厚い木のくぐり戸を押すと中へ入った。門の中は林のように木がいっぱい生えていて細い道が奥へと続いていた。所々に石垣があり道はそこでう回する。
「攻めてきた敵が、まっすぐに進めないようにわざわざ道を曲げてあるのさ。ここは、殿様の屋敷だったんだ。」
 木の上に忍者がいそうだ。林をぬけると細かいじゃりを敷きつめた広場の向こうに古ぼけた屋敷があった。広場の入り口にみごとな桜の古木が枝を広げていた。
「あれが、桜屋敷のシンボルツリー、紅彼岸桜(べにひがんざくら)だ。玄関の正面のひさしがまあるくなっているだろ。あれは桃山時代の建物の特徴だ。古いはずだ。この家は重要文化財に指定されてるんだぞ。」
 玄関前広場の左手の竹垣にしおり戸があった。しおり戸が開いて、着物姿の若い男の人が出てきた。
「来たな、ケイタ。」
「玉じゃりを踏む音で、わかったんだな。若さま。」
「といいたいところだが、門のくぐり戸に赤外線センサーがついてるのさ。木の上には暗視カメラもある。」
 チカラは、早く屋敷の中に入りたかった。庭の池には人食いピラニアがわんさか泳いでいて、座敷の壁は大型の液晶画面。画面いっぱいに七つの海。丸いドーム式の天井には、星座と人工衛星の軌道が映されている。
「チカラくん、でしたな。ようおいでなさった。」
「おじゃまします。」
「ちょうどよかった。きょうの午後、犬追い物をやることになってるんだ。めったに見られない武術のけいこだ。」
「犬追い物なんて、ざんこくなことをまだやってるのか。」
「テレビ局の企画だ。一度はことわったのだが、正式な犬追い物の型は、この屋敷しか伝えられていないからといわれてな。杉谷村の青年会も全員が賛成した。」
「よく、桜子さまが許したな。」
「桜子は、お盆過ぎから京都へ友達と卒業旅行なんだ。」
「なんだ、桜子さまはいないのか。」
 チカラも、桜子さまのことは知っていた。ケイタおじさんが家へ連れてきたことがあるんだ。来たときはまだ中学一年生だった。まるで野原に咲くムラサキツメクサのような女学生だと思った。優しくて品があって、それでいて運動神経はばつぐんで野性的な美少女だった。
 裏庭は、チカラの通う小学校の校庭の二倍ぐらいもある馬場になっていた。その馬場を一辺百六十一メートルの四角い竹垣で囲み、中央に太い麻縄で二重円を造ってあった。馬場の奥に厩舎がある。チカラたちが昼食をごちそうになって馬場に出ると、武者姿に変身した若さまが背中に弓矢を負って栗毛の馬に乗って現れた。さすがだ。若さまのほかに武者姿の騎手は十一人もいる。
「カメラ、準備出来ました。」
「よし、始めよう。」
 馬場の周囲にテレビ局のスタッフがスタンバイして犬追い物の始まるのを待っていた。厩舎の方からやかましい犬の鳴き声がした。着いたばかりの動物移送用のトラックから犬の群れが降ろされているのだ。全部で百五十ぴき、十ぴきづつ十五回に分けて放すという。十二名の騎手は四人一組、三手に分かれて犬を追う。馬上で弓に矢をつがえ、射る。
「犬を傷つけないように、やじりはカブラ矢の先を大きくしたヒキガエルの口のような形に替えてある。」
「それでも、当たれば痛いでしょ。」
「そりゃ、勢いがないと当たらないからな。」
「あの犬たち、どこから連れてきたの。」
「東山市の保健所じゃないかな。東山は捨て犬が多いと新聞で読んだことがある。」
 忍者のように黒衣を着た男が十人、一ぴきづつ犬を引いて馬場の中心円に登場した。いよいよだ。二重円の三方に騎手が弓を左手に右手にたずなを持ってかまえていた。一方のやぐらの上に浅黄色の羽織姿の検見役がいた。検見役は白髪の老人だった。右手を高く上げて立っていた。
「犬、追いませー。」
 検見役の老人が右手を振って、叫んだ。十ぴきの犬が放たれた。十二名の騎手が走りだす。かぶら矢がうなりをあげて飛ぶ。十ぴきの犬が、悲鳴をあげて逃げまどう。やぐら下の竹垣にくぐり戸があって、戸が開けられるたびに射られた犬が外の囲いに逃げ込んで行く。
「ようし、つぎ。」
「犬、追いませ―。」
検見役が右手を振る。騎手が馬上に立ち上がって弓をしぼる。矢がうなりをあげて、逃げる犬を追って飛ぶ。十ぴきに十二人の射手だから、逃げ切れる犬はいない。運が悪い犬は二本の矢を身体に受ける。
「若さまが、もう五ひき当てたぞ。」
「かわいそうだよ。」
検見役は、騎手のたずなさばきと、弓を扱うしせいも見て、点数をつけるそうだ。三方の竹垣の角に、三人の副検見役がいた。副検見役も、浅黄色の羽織姿だった。年齢は検見役より若い、五十そこそこというところだ。
「犬、追いませ―。」
最後の十ぴきの犬が放たれた。矢が飛ぶ。犬が悲鳴を上げる。馬が追う。
「かわいそうだよ。」
一ぴきの茶色い毛の長い犬が身をくねらせて矢を避けるとチカラに向かって駆けてきた。チカラは竹垣をよじのぼった。茶色い犬の後を若さまの栗毛が追って来る。
「やめろ、チカラ。」
ケンタおじさんが、チカラを押さえる。
「放して、おじさん。」
その時だった。空色のジ―ンズを着ただれかが、チカラのすぐわきの竹垣を飛びこえて馬場に立った。
「桜子、やめろ。」
若さまが叫んだ。すでに若さまの矢は放たれていた。犬をかばって立った桜子さまの白い足にかぶら矢が当たる。
「うお―。」
ひどい声だった。ケイタおじさんが、チカラを抱えたまま桜子さまの前にとんだのだ。
「いてえ。ひどいぞ、若さま。」
「ごめん、ごめん。」
チカラは、桜子さまが抱きとめていたから被害ゼロだ。ケイタおじさんが、うらやましげにチカラを見た。桜子さまの胸は弾力があって、ムラサキツメクサの一面に咲く野原に寝ているときのような匂いがした。
「カ―ット。」
「お疲れさまでした。」
「お疲れ。」
テレビ局のスタッフが機材をワゴン車に運びだしていた。若さまたち騎手や犬係も馬を厩舎に、犬を動物移送車にもどしていた。検見役の老人も、副検見役も、お屋敷に入って採点をまとめているのか、もう、馬場にはいなかった。
「犬たちは、テレビ出演の費用で、このあと、お屋敷の放牧場に建てた犬舎で飼われることになっているのさ。若さまも、それが出来るとわかったから、犬追い物を再現したというわけだ。そうしなきゃ、かわいい桜子さまにきらわれる。」
チカラは、桜子さまとお屋敷にもどった。お屋敷の内部は柱や、はりはそのままだが、窓はペアガラス入りの木製サッシ、壁は香りのいい青ヒバの木にはりかえられていた。
奥座敷の大きなむくの木の円テ―ブルを囲んで、チカラは桜子さまとチ―ズケ―キを食べてハ―ブティを飲んだ。円テ―ブルの下は掘りごたつになっていたから、足をのばせる。 チカラは考えた。あの茶色い犬を連れて帰ろう。
「茶色い犬の名前は、ペチ。いい名前でしょ。」
「ペチ。」
「そう、ペチ。」
きょう、保健所からつれて来られた犬の名前を、なんで知っているんだ。不思議に思ったが、聞かなかった。桜子さまは、首輪も用意してあった。厚いなめし革の首輪に銀色の名札が縫い着けられていた。名札に「ペチ」と彫ってあった。
なぜだ、きょう、保健所からつれて来られたばかりだというのに。
チカラがペチをベンツに乗せると、ペチは、おとなしくじっとチカラの隣の座席に座った。もちろん、後部座席だ。桜子さまが、古い毛布でペチの座席をくるんでくれた。
「ペチ、かわいがってもらうのよ。」
顔を近づけた桜子さまのあごを、ペチはなめた。
「ペチ、桜子が好きか。」
若さまが、のぞいて言った。
「また、会えるさ。」
「そうだ、会える。」
ケイタおじさんも、バックミラ―を見ながら言った。
ベンツは、チカラとペチとケイタおじさんを乗せて高速道路を走っていた。ペチは、身体を丸くしてねむっていた。
「桜子さまが小学生のころ、茶色い犬を飼っていたんだ。その犬の名前がペチ。桜子さまが東京の女子中学へ進学して、わたしの家に下宿した後で、ふっと、いなくなったんだ。村の人たち、みんなが、ペチは桜子さまのあとを追ったんだ。いまに、東京の桜子さまのところへ現れるとうわさした。三年たっても、ペチはどこへも現れ
なかった。そのうち、村人たちは、ペチは保健所の捕獲係に捕まったんだと、うわさするようになった。」
「この首輪、いなくなったペチのために買ったんだね。」
ベンツが、少しづつ速度を上げていた。
「ないしょで飼っている家もあるけど、ペチは、ちょっと大きすぎるよね。」
「ペチは、甲州虎毛の雑種だろうって、若さまが言ってた。これでもまだ子犬だ、もっと大きくなるぞ。」
「甲州って、いまの山梨県あたりだね。」
「甲州虎毛は、武田信玄が愛用したというこの地方で生まれた名犬だ。毛並みが虎の毛に似ているので虎毛だ。」
「強いんだ。」
「虎毛は足も速いが、ジャンプ力がすごいので有名だ。」
 そんなすごい犬、チカラ一人で大丈夫だろうか。
「ケイタおじさんちで、しばらく面倒をみるか。」
「よかった。」
 ペチが、ねむそうな目を開けてチカラを見た。もうすぐ首都高速に入る。今夜は、ケイタおじさんちに泊まるよ。ペチ。チカラは、ペチの背中をなぜてやった。
「明日は、犬小屋を造らなきゃね。チカラも、手伝えよ。」
「うん。手伝う。」
「よし、きまった。」
 青色のベンツは、うれしそうにエンジン音を響かせて、夕暮れの高速道路を飛ばしていた。時速百二十キロ、だいぶ飛ばしすぎだよ。ケイタおじさん。あまり、浮かれないで。
 わかるかい、みんな。ペチのいるところには、桜子さまが現れる。ここにいるペチは、もしかすると、いなくなったペチの子どもかもしれない。そう、桜子さまも思ったにちがいない。だから、ペチなんだ。ペチ二世だ。
「ぼく、ペチの世話。ちゃんとするよ。」
 ベンツが、速度を少し落とした。窓の外に高層ビルが迫ってきた。色とりどりの大都会の明かりにペチも、すっかり目がさめたようだ。
「ケイタおじさんも、ペチの世話をちゃんとしまーす。」
 大きな声で、ケイタおじさんが言った。はるか南アルプスのふもとの、若さまと桜子さまに聞こえるくらいに大きな声でだ。チカラも、まけずに叫んだ。
「チカラのほうが、ちゃんとしまーす。」
ペチもほえた。窓の外の夜の街に向かって。

        

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