こまとぜんじさま


 こぼうずのせんねんは、こままわしがだいすきでした。なにしろ、まだ、ちびっこぼうずでしたので、わかれてきた、いなかのおとうさんや、おかあさんのことをおもいだして、なみだをこぼすこともありました。
 そんなとき、せんねんは、お寺のおかってぐちから、うら庭にでて、こまをまわしました。こまは木でつくってありました。まだ、せんねんが、いなかの家にいたころ、おしょうがつのおとしだまで買ったのです。こぼうずになってお寺にくるとき、こっそり、にもつのなかにいれてきました。
 すきなことは、じょうずになるものです。たこ糸をなん本もよってこしらえたひもで、とびきりじょうずに、せんねんはこまをまわしました。右手のこゆびにひものはしをからめて、きゅっとひもをひきます。こまは、せんねんの手のひらから、まるで、りすのようにとんで、せんねんのおもうところへとまってまわりました。もちろん、左の手のひらの上でまわすこともできました。
「おい。こら、せんねんのちびっこぼうず。また、こまをまわしているな。そんなところを、せんがいぜんじさまにみつかったら、たいへんだぞ。」
 と、あにでしのほうりんがいいました。
「いまごろ、こんなところへ、ぜんじさまはいらっしゃらないよ。」
「どうかな。ぜんじさまのおしおきは、いたいぞ。びしりと、ぼうでたたくんだぞ。」
 ほうりんも、びしりと、ぼうでたたかれたのでしょうか。かおをしかめて、せんねんにいいました。
「ところで、せんねんのちびっこぼうず。こんやもひとつ、たのんだぞ。」
「うん。いいよ。」
「よし。いつもの時間に、いつものどべいの前のざぜん石のところだ。わかったな。」
「うんだいじょうぶ。」
 せんねんとほうりんは、なにをそうだんしたのでしょう。それだけいうと、あにでしのほうりんは、ぼうず頭をふりながら、おかってぐちにはいりました。どうも、ひみつのそうだんらしいのです。  せんねんは、またひとりで、こまをまわしていました。せんがいぜんじさまって、ほんとうにこわいんだろうか。こぼうずでも、ぼうでたたくだろうか。えい。びゅうん。せんねんは、かんがえながらこまをまわしました。こまは、りすのようにせんねんの手をはなれて、たんぽぽの花をちらして地めんにおちました。
 かたい地めんで、こまはかたをゆすってまわっていました。かんがえごとをしてまわすと、うまくまわらないのです。こまは、かたをゆすってはいけません。ぴんと、しんぼうをまっすぐ地めんにたてて、右にも左にもゆれないほうがよいのです。せんねんは、こまをひろって、ぎゅっとひもをまきなおしました。こんどはなにもかんがえないで、びゅうんと。
「うわっ。すごい。すわったぞ。」
 と、せんねんは、おお声をあげてしまいました。すると、せんねんのうしろで、だれかがききました。
「こまが、すわるものかな。」
「はい。すこしもかたをゆすらないで、ぴんとしてまわっているでしょう。まるで、こまがすわりこんだみたいに。」
 せんねんは、とくいになっていいました。うしろにいるのが、だれかもしらないで。
「なるほど、すわってる、すわってる。」
 と、うしろのだれかも、かんしんしていいました。そのこえを、どこかできいたことがあるなぁとおもったら、それは、このお寺で一ばんえらい、せんがいぜんじでした。
「うわっ。ぜんじさま。ごめんなさい。」
あわてて、こまをひろうと、せんねんは、ぺこりと頭をさげました。こっそりお寺で、こまをまわしていたせんねんを、ぜんじは、ぼうでたたくでしょうか。
「しかりはしないよ。それより、もう一ど、こまをまわしてみせてくれんかな。」
 と、せんがいぜんじはいいました。ぜんじもこまがすきなのでしょうか。せんねんは、
「はい。」といってこまをにぎりました。びゅうんと、りすのようにこまが、たんぽぽの花をかすめて、かたい地めんにとびました。でも、かたをゆすっています。
「かたをゆすっているな。」
「はい。」
「なぜかな。」
「はい。ぜんじさまにみつかったので、まだ、ぼくの胸が、どきどきしてるからだとおもいます。」
 せんねんは、どきどきしている胸をおさえて、いいました。そのとおりです。こまは、まわすひとのこころとおなじようになるのです。
「いなかの家の庭でまわしていたころは、すわるどころか、手のひらの上で、すきとおったこともあります。」
 と、せんねんはいいました。
「こまが、すきとおるようにみえるのかな。」
 と、ぜんじがききました。
「はい。手のひらでまわっているこまが、まるで、すきとおるようにみえるのです。」
「こまがすきとおったら、きもちがよいだろうな。」
「はい。なにもかもわすれてしまいます。からだが、こまのなかにひきこまれるてしまいそうです。」 「そうか。からだかひきこまれるか。」
 せんがいぜんじは、でしたちとおなじように、うすずみ色のころもをきていました。あちこちつぎのあたった、そまつなころもでした。ぜんじや、せんねんや、あにでしのほうりんたちのいるこのお寺のことを、はかたの町のひとたちは、「はかたのしょうふくじ」とよんでいます。しょうふくじのおおきなやねのある門には、「ふそうだい一ばんめのぜんくつ」と、かいたがぐがかかっています。ふそうというのは、日本のことです。だから、はかたのしょうふくじは、日本でだい一ばんの禅の寺にちがいありません。
 そのぜんじさまならば、日本で一ばんのぜんじさまでしょう。それにしては、すこし、ころもがそまつだなと、せんねんはおもいました。なぜ、もっとりっぱなむらさき色のころもとか、きんきらきんのけさをつけないのだろう。せんねんは、そんなけさをきたぜんじさまを、みたことがありません。
「そうか。こまがすわるか。こまがすわってすきとおるか。」
 と、いいながら、そまつなころものせんがいぜんじは、本堂のほうへいってしまいました。せんねんもこまをしまうと、お寺のおかってぐちにはいりました。もう、晩ごはんのしたくをしなければ、おふろの水もくまなければ、あにでしのほうりんに、それこそぼうでたたかれましょう。

 ぜんじのおへやの前に、おおきなたいざんぼくの木がはえていました。たいざんぼくの葉は、つやつやひかります。こいみどりの葉のしげった枝のさきに、白いにくのあついみごとな花をさかせます。ぜんじは、このおおきな花がすきでした。たいざんは、海のむこうの中国の山の名だと、ぜんじはしっていました。すると、この木は、やっぱり海のむこうから、だれかにはこばれてきたのでしょうか。  ぜんじは、おへやのしょうじをあけて、たいざんぼくをみました。まだ花はかたいつぼみです。ことしは、いくつ花をさかせるだろうかと、ぜんじはかぞえます。たいすざんぼくの横に、池がありました。池には、おおきなこいがおよいでいます。なかほどに、石の島があって、かめがこうらをほしていました。ぜんじは、こいをみるのがすきです。ゆうゆうと、池のなかで一ばんえらいのは、おれさまだと、いうようにおよいでいるこいをみていると、なんだか、ぜんじまで、こいになってしまったような気がします。かめもすきです。のんびりと、なんのくろうもないように、こうらぼしをしているかめをみていると、ぜんじは、かめになったような気もします。みているうちに、こいやかめに、からだがひきこまれてしまうのでしょうか。
「そうか、こまに、からだがひきこまれるか。」
 と、ぜんじは、おへやのえんがわで、かめをみなかせらいいました。かめがおどろいて、のそのそと池にはいっていきました。
「わたしが、こまになってみることだ。すきとおったこまになることだ。」
 と、せんがいぜんじは、こいをみながらいいました。ばしゃんと、こいもおどろいて、池のそこにしずみました。
「ぜんじさまは、もう、おやすみになったか。」
 と、あにでしのほうりんがききました。
「はい。さっき、おへやのしょうじがしまりました。」
 と、せんねんがいいました。
「よし、そろそろ、でかけるか。おい、みんな、いくぞ。」
 と、ねどこのなかのみんなにいいました。みんなは、ねどこにはいっていましたが、ねまきはきないで、よそいきのころもをきて、じっとまっていたのです。
 はかたは、にぎやかな町でした。夜おそくまで、店がひらいていました。おいしいたべ物を売る店。海のむこうの国からきためずらしいけものをみせるみせものごや。きれいな女のひとのいるさかば。せんねんのちびっこぼうずでも、いってみたいなとおもいました。
 しょうふくじのおもて門は、もうぴったりとあつい気のとがしまって、かんなぬきがかかっていました。うら門も。
「いつもの時間に、いつものどべいのざせん石のところだ。わかったな。」
 と、いったほうりんのことばを、せんねんはわすれはしません。ひと足さきにかってぐちをでると、せんねんは、足音をしのばせて、庭へまわりました。たいざんぼくの葉が、つやつやと星あかりにひかっていました。池の横をそうっとぬけて、ちょっとたちどまって、ぜんじさまのおへやをみてから、つきやまのむこうのどべいのほうへいくのです。しょうふくじは、おおきなお寺です。まわりには、ぐるりとたかいどべいがありました。たかいどべいは、せんねんのちびっこどころか、あにでしのほうりんも、のぼるにはたかすぎました。だから、せんねんが、ざぜん石の上にすわって、ふみだいになるのでした。
 ほうりんやほかのあにでしたちが、どへいにむかってすわっているせんねんのかたをふみつけて、どべいをこえていくとき、せんねんはいつもおもいます。はやく、ぼくのかわりに、ふみだいになるちびっこぼうずが、くればよいのに。
 池の横をとおるとき、こいがばしゃっとはねました。あしたは雨になるのでしょうか。いまごろ、おかあさんはなにをしているだろう。ぼくが、夜あそびにいくあにでしたちの、ふみだいになるとしったら、かなしがるだろうか。あれ。だれか、さきにきて、ざぜん石にいるみたいだ。でも、なんだか、ぼうっとすきとおっていて、よくみえない。  せんねんは、おどろいて、池のそばの木のかげにかくれました。あれは、だれだ。ざぜん石の上に、たしかにだれかがいる。
「おい。せんねんはいるか。」
 と、むこうのうえこみでこえがしました。
「うん。ちゃんと、ざぜん石の上にいるぞ。」
 と、だれかがこたえました。せんねんはそのとき、ぜんじさまのおへやのしょうじが、すこしあいているのに気がつきました。するとあれは。
「なんだか、せんねんのやつ、すこしおおきくなったようだな。」
「しっ、おおきなこえをだすな。ぜんじさまにきこえたらたいへんだ。」
 ひとりのあにでしが、ざぜん石の上のふみだいになったぜんじさまをふんで、
「よいしょ。」
 と、どべいにのぼりました。
「あれ、あれ。」と、せんねんはおもいました。あれは、たしかにぜんじさまです。そのとき、あにでしのほうりんが、すわっているぜんじさまのぼうず頭に足をかけて、どべいをこえていきました。
「そうか。」
 と、せんねんは、お寺のやねの上に、お月さまがだしたときにおもいました。
「ぜんじさまは、こまになったんだな。」
 そのとおりです。あんなにふみつけられたのに、ぜんじは、びくりともしないで、すんだこまのように、どべいにむかってすわっていました。
「すきとおっている。まるで、こまだ。」
 と、せんねんはいいました。
「なんだって、こまだって。」
 と、あにでしのほうりんが、どべいの上にかおをだしました。
「なんだか、へんだな。」と、ほうりんもおもったのでしょう。ひきかえしてきたのです。
「あれは、せんねんじゃない。ぜんじさまだ。」
「ね。からだが、ひきこまれるようでしょう。」
 と、せんねんがいいました。
「そうか。からだが、ひきこまれるか。」
 と、そのとき、せんがいぜんじが、こちらをむいていいました。とてもたのしそうな声で。
「うへえ。」
 と、ほうりんは、どべいからころげて、しりもちをつきました。
「いやいや。おれいをいうのは、こちらのほうだ。あのとき、へいの前にすわったおかげで、わたしは、ぜんがわかったのじゃよ。」
 と、あとで、ぜんじさまは、せんねんのちびっこぼうずにいったそうです。
 あにでしのほうりんはどうしましたか。もちろん、夜あそびにはもういかないで、べんきょうしたということです。

(仏教童話全集第6巻掲載 作:朝比奈秀行)



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