金時山山頂
さった峠の富士        
 

   
匂いのある童話

                                
「きみたち、お話きくかい。」
私は、キャバレ―白馬車のネオンの下で、おそるおそる子どもたちにたずねてみた。
「どんなお話するの。」
寿司初の美和ちゃんは、髪の長いいかにも浅草的な女の子だった。午後八時をまわっていたろうか、浅草六区の映画街は、最後の呼びこみで賑やかだった。
「恐いお話がいいな。」
釜めし春の兄弟が、石だたみの上からメンコを拾いあげて言った。
「お兄さん、この路地からストリップショ―が見えるの知ってるかい。」
角の水菓子屋の一男が、私を見上げて大人のように笑った。
一週間後のメ―デ―の日に先生が出払ってしまう早稲田の小学校で、私が所属する早大児研が総出で、教室童話をすることになっていた。私は、この四月に入学したての新入部員だった。
「ストリップは、こんどでいいよ。お話、聞きたいだろ。」
「恐いお話ならね。」
児研の先輩に「いくらせがまれても子どもに怪談を話すのはよくない」
と言われていた。怪談ではないが、恐いお話。
小川未明の代表作「赤い蝋燭と人魚」、
それが私の第一回街頭童話の演題だった。
それから、一週間、毎晩私は「赤い蝋燭と人魚」の話をせがまれた。
怪談ではない恐い話を、それしか私は知らなかったのだ。
「先生。図書館つくるってほんと。」
ある夜、五年生になった一男が真剣な顔で私にきいた。
いつの間にか私は、お兄さんから先生に昇格していた。
「図書館なんてもんじゃないけれど、町内会事務所の二階にみんなの読む本を置こうと思ったのさ。」
「それなら、ぼくたちがその本を集めてくるよ。ぼくたちの図書館だものね。」
私は、その言葉を生涯忘れないだろう。彼らは集めてきた。
当時人気一番の立川文庫が数十冊、三か月位かかってわれらが本棚にずらりと並んだ。
「どこでもらってきたんだい。」
と、私は笑いながらみんなにたずねた。
「もらったんじゃないよ。」
と、一年坊主のたあ坊が言った。
「お兄ちゃんたちが、墨田公園や今戸まで行って勝負で勝ってきたんだよ。」
「勝負。」
「そう、勝負さ。」
一男たちは、本当は秘密にしておきたかったんだという顔で私を見た。

 大学二年の夏、私は、沼津盲学校小学部の全生徒三十四名の前に、こちこちになって立っていた。 盲目の子どもたちは、私が教壇に立ったのに拍手をしないどころか、まるで私に関心を示さなかった。 生徒たち全員が、横を向いたり、下を向いたり、あらぬ方に顔を向けていた。 私の背後には、次に演ずる予定の人形芝居の濃紺の幕が、同行した早大児研の仲間たちを隠して垂れていた。幕の裏の仲間たちも緊張していた。
  私は、ますます固くなったが、勇気をふるって声をかけた。
「みなさん。」
 とたんに、子どもたちのうつろな目が、私をいっせいに見た。
「こんにちは。」
  次の言葉をかけた時、私は、目をつぶっていた。光のない穴のような目の集団に見つめられた恐ろしさに、目を開けていられなかったのだ。背筋に冷汗が流れ るのを感じた。 それでも、私は目を開いて、話を続けなければならなかった。私は、右手の人差指で窓の外をさしながら、いつものようにこう叫んだ。
「あれ、あんなところに、・・・」
「黄色い蝶々が飛んでらあ。・・・と、三平ちゃんは、いいました。」
 私は、出だしから失敗だと思った。目の不自由な小学生たちに、黄色なんてわかるわけがないじゃないか。
しかし、子どもたちは、笑いだした。目の見える子どもたちが、いつもそこで笑うよりも、もっと大げさに、蝶々が、まるでこっけいのかたまりででもあるかのように、手を叩いて笑っていた。
「あれ、こんどは、茶色い犬がくるよ。すてきな銀色の首輪をしてる。」
もう、だめだった。いっそう笑いころげる三十四人の子どもたちの前で、私は、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
 愉快な話だった。盲学校の生徒たちの目には、きっと、私が心に描いた蝶々や犬よりも、もっと愉快な蝶々や犬が、映ったにちがいない。背中を折り曲げて、隣の子の背中を叩いて笑っている女の子もいた。もちろん、私の頬を流れる涙が、子どもたちに見えるわけはなかった。私は、涙を左手の甲でぬぐうと、再び、ゼスチュアたっぷりの、得意中の得意の愉快な童話を話し続けた。
「三平ちゃん。お母さんには何も言っちゃいけないよ。秘密だよ。」
「うん。わかった。ひ・み・つ・だね。」
「うん。ひ・み・つ。」
「・・・そして、善太と三平は、金時山の頂上に着くと富士山をバックに写真を写しました。これで私の話はおしまいです。」
  その時、私は、最後の最後まで、盲学校の生徒に理解出来ない口演童話をしてしまったのだ。 それから、しばらくして私は、自分の話している童話の価値について、しきりに考えこむようになった。
「いいかい、きみ。大切なのは、学校教育はその他おおぜいをつくるけれど、童話は、そうじゃないということだよ。人は、パンのみに生きるにあらずだ。パンは政治だよ。宗教、芸術は、おかずなんだ。童話は、風だ。子どもたちは、風といっしょにパンを食べるのだ。」
 私の話を聞いた、平塚武治先生は、飄々とした顔で、こう教えて下さった。
「風といっても、ただの風じゃない。香りのある風。きみの童話には、きみの匂いを出すんだ。わかるかい。」
「個性のことですか。」
「個性といってはつまらない。風土といってもらいたいね。宮沢賢治は岩手。新美南吉は愛知。坪田譲治は岡山。浜田広介は山形の匂いがする。」
風土の匂いか。そういえば浅草の子どもたちには、確かに浅草の匂いがした。 しかし、私には自分の風土がわからなかった。出生地も本籍地も、浅草一丁目になってはいたが、生まれたのは東横線の綱島らしい。それから下谷の根岸、上野桜木町、市川市北方、疎開で吉野の大淀町、戦後市川に戻ったが、高校一年で兄と二人で浅草の店の二階に移った。 兄の結婚で浅草を離れて綱島へ。早稲田、市ヶ谷、駒込、鎌倉、元住吉、保土ケ谷、強羅と、幼い頃から転々と住家が変わった。 下谷の根岸小学校を皮切りに小学校が二校、中学が四校、高校が二校、大学が二校。転入学さえこれだけある。
「風土も、香りもない男か。そんな男が、どうやって作品に匂いをつけようというんだ。」

 その日は、すこぶる付きの上天気だった。私は、久しぶりに一人で金時山に登ってみた。澄んだ山頂の空気を吸うと、下界のしがらみを忘れる。金時山頂で茶屋を営んでいる初代金時娘の小見山妙子さんは、私と同年で中学時代からの友人だっだ。私は妙子さんに同じことを聞いてみた。
「そういえば、秀行さんは体臭が薄いみたい。男臭くないわ。」
 しばらく前に結婚した純朴な旦那が、そばでもくもくと働いていたが、男臭くないと言われては少々暗くなったその時、金時茶屋の縁台に坐っていた客の一人が、私に声をかけた。
「失礼ですが、もしかしたら、あなたは沼津の盲学校へお話をしにいらっしゃったことがありませんか。」
 妙子さんが、けげんな顔でその人を見た。まだ二十歳を過ぎたくらいの青年だった。
「確かに十年ほど前に伺ったことがありますが。」
「やっぱりそうでしたか。連れが聞いてみてくれというものですから。」
 青年の連れは、目の不自由な美しい娘だった。娘は恥ずかしそうに私に向かって会釈をした。
「私たちは、沼津盲学校の同窓生なんです。私は、あのとき六年。三洋子は五年生でした。」
「なぜ、私がわかったのですか。」
「三洋子が、あなたの匂いを覚えていたんです。」
「ぼくの匂いを。」
「実は私も、あなたのお話を聞いていたのですが、後の席にいましたし、匂いまではわかりませんでした。あの日、三洋子は一番前の席にいたのです。」
 小学生も、十年たてば青年になる。後天性の弱視だった青年は、手術のお陰で視力を取り戻したそうだ。彼女は、光を感じる程度の先天性の光覚盲だった。
「三洋子は、幼いときから嗅覚の訓練をしていたのです。彼女は先天盲でしたから、両親が、聴覚に併せて嗅覚も鋭ければと考えたそうです。」
 香水の香りを識別する人は、十万種くらいの匂いを嗅ぎ分けられるという。記憶と匂いが結び付くことも実証されていた。私の童話を、彼女は全身で聞いてくれたのだ。
「昨日から私たちは、新婚旅行で箱根に来たのです。あなたの童話に出てきた金時山に登って富士山をバックに写真を写そうって、三洋子が言い張るものですから。」
 私は、自分の匂いに自信を持ってよいんだなと思った。でも、いったい、私はどんな匂いがしたのだろうか。 私は彼女に尋ねてみた。娘は頬を染めながら私にこう答えてくれた。
「山の匂いがしました。先生の匂いは箱根山の匂いだったんだと、此処へ来てわかりました。」
 私の風土は、箱根山だったのか。 茶屋の外で、二人の姿が見えなくなるまで見送ってから、私は、茶屋の奥にいた純朴な旦那と妙子さんに別れを告げた。その時、妙子さんは、一人で下山口まで見送ってくれた。そして、さよならの握手をした私の手を握り返しながら、こう言った。
「本当は、秀行さんの匂い、私もわかるんよ。でも、この頃だいぶ薄れてきたけれど。」


 モンテッソ―リの感覚教育の教具の中に、「嗅覚筒」というのがある。二つの木箱にプラスチック製の嗅覚筒が六箇ずつ入っている。それぞれ六箇の筒には、「シナモン・バニラ・たばこ・コ―ヒ―・香水・緑茶」の六種の同じ匂いの基を綿にくるんで入れてある。小穴のある内蓋で中身は見えない。 まず、一つの木箱の六筒を取り出して机上に散らす。次ぎに、もう一方の木箱から筒を一つだけ出して、手前で蓋を開け、匂いを嗅ぐ。嗅いだらすぐに蓋を閉めて、散らした六筒の中から同じ匂いの筒を探す。見つけたら、机上左側にペアにして置く。 なれてきたら、少し距離をおいた机に片方の箱を運んで、距離をおいたペアリングに挑戦する。 さらになれたら、中身の匂いを、果物や生花、ポプリなど、いろいろな種類に替える。対象年齢は三歳から四歳半の幼児。一人で練習出来るように、両方の筒底に同じ色の間違い訂正印が付いている。 数年前から、相模原にある私の保育園でも、大人になったとき、子供たちが、私の匂いを嗅ぎ分けられるように、嗅覚筒の箱を保育室の教具棚に並べてある。
そして、時々、私は、私の『匂いのする童話』を、話すことにしている。


(月刊 ニュ-フレ-バ-239号掲載 作:朝比奈秀行)
                                                           


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